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zoom RSS 浅田真央 さらなる高みへ / そして、その瞬間へ (吉田順)

<<   作成日時 : 2014/03/29 02:50   >>

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満足度3 ★★★

学研教育出版
初出版 2011年 / 2013年
読んだ回数 1回


学研教育出版−裏表紙の紹介文

真央、20年間の全軌跡。誕生から20歳の全日本選手権まで。浅田真央が感じた、すべての喜び、苦しみ、悔しさ、そして、感謝の思い。バンクーバー五輪で頬をつたった「悔し涙」。それは、浅田真央にとって新しいスタートとなった。苦悩や葛藤、悔しさを、前に進むエネルギー、そして笑顔に変えて、浅田真央の、ソチ五輪に向けての新たな物語が、いまはじまる。

真央、20歳から23歳までの全軌跡。真央が感じた喜びと悲しみ、挫折感と達成感。そして、たどりつく希望。 「さらなる高みへ」以降の浅田真央の足跡を追ったノンフィクション。バンクーバーからソチへ。浅田真央が感じた、喜びと悲しみ、挫折感と達成感。そして、たどりつく希望。「さらなる」以来、継続的に取材を続ける吉田順が、その知られざる素顔を描く。


感想、みたいなもの

私は子供の頃からフィギュアスケートが好きでした。



おぼろげな記憶の中にある、札幌五輪の、あのジャネット・リンの演技。それ以来ずっと、フィギュアスケートを見てきました。

フィギュアスケートは、採点競技の比重が高く、スポーツとして観た場合、異質な部分があると思います。

特に女子の場合は、「表現力」と呼ばれるものが重視され、難度の高いジャンプを飛ぶというアスリート性が軽く見られる、と言うより、排他的な扱いを受けてきた歴史があります。

しかし、フィギュアスケートがスポーツである以上、アスリート性の高い選手が私の好みで、その代表格が、かの伊藤みどりでした。



伊藤みどりの代名詞である「トリプル・アクセル」。
ジャネット・リンの記憶と違って、伊藤みどりの「トリプル・アクセル」の成功シーンは今でもはっきりと覚えています。



しかし、伊藤みどり以後、長野五輪で、卑弥呼になった伊藤みどりに度肝を抜かれることはあっても、「トリプル・アクセル」に度肝を抜かれるような女子選手はなかなか現れませんでした。





そんな中、半ば伝説の技と化した「トリプル・アクセル」を現実の世界に蘇らせてくれた浅田真央の出現に私が歓喜したのは言うまでもありませんでした。



フィギュアの選手は、それぞれの魅力を持っていて、これまでにも好きな選手はたくさんいましたが、その中でも私が特に好きな女子選手はと言うと、当然のことですが、アスリート性の高い伊藤みどりと浅田真央なのです。

ちなみに男子では、フィリップ・キャンデローロとエフゲニー・プルシェンコが好きです。







男子の場合は女子と違い、高い技術は当然で、それにプラス、芸術性だけでも観客を魅了できる表現力の持ち主が好みなのです。

ということで、ジュニアで脚光を浴びていた頃から、ずっと浅田真央を応援してきました。





バンクーバ、涙の銀メダルから4年。

本人がその集大成と位置付けたのが今年のソチ五輪でしたが、ショートプログラムで転倒。

「何が起こったのかわからない」という、絶望と不安の断崖絶壁から不死鳥のごとく蘇り、深夜の日本を歓喜の涙で包んだフリーの演技。

この2冊の本は、フィギュアスケーター浅田真央の成長を記したものです。

−−−−−−−−−−

「さらなる高みへ」はジュニア時代からバンクーバ五輪まで、「そして、その瞬間へ」はバンクーバ以後、ソチ五輪へ向けた練習と試合の日々が綴られています。

各大会に向けた練習方法や、その時々の体調、心理などが書かれていて、「ああ、あの時はこういう状況だったのか。」ということがわかり、真央ファンとしては興味深い内容で楽しめました。

2冊とも、各シーズンで使う楽曲や衣装についての記述も多いのですが、どんなプログラムだったのか、確認しながら読むとその時のイメージが蘇り、浅田真央の演技に対する理解も深まると思います。

私はいちいちYouTubeで検索していたのですが、ショート、フリー、エキシと、プログラムをまとめてあるサイトをリンクしておきますので、これから読んでみようという方はぜひ参考にして下さい。

浅田真央のラストシーズンを見守るブログより

あなたのお気に入りのフリーは?
あなたのお気に入りのショートは?
あなたのお気に入りのエキシビションは?


ちなみに、私のお気に入りですが、ショートは特にコレというのがないのですが、フリーが「白鳥の湖」で、エキシビションは「メリーポピンズ」です。

ということで、私としては興味深い内容で、まずまず満足して読んだのですが、あまりネットで調べたりはしないライトなファンの方が読むと、内容的には派手さもなく平凡で、もしかすると盛り上がりに欠けるかもしれません。そんなわけで満足度は★★★としておきます。


 左:さらなる高みへ   右:そして、その瞬間へ

ただし、アマゾンの評価を見ると、それほどコアなファンではない方からも高い評価を受けているようですし、何より、多くの人に浅田真央が愛されていることがわかり、何だか嬉しくなってしまいました。

なお、この本では、ネット上で、バンクーバ五輪以前から活発な検証がなされてきた、八百長・買収大国の韓国が推し進める「キム・ヨナ金メダルプロジェクト」に代表される「フィギュアスケートの不可解な判定」について、また、韓国に支配されてしまった我が国のテレビを始めとするマスゴミに、浅田真央がどのように扱われてきたか、そして、それらに対して、浅田真央がどのように思っているのかなどは、一切触れられていません。

本を読んで感じるのは、時には体調が悪かったり、精神的に傷ついたりしながらも、その時々の状況を受け容れ、自分ができる精一杯の努力をしようとする、等身大の浅田真央の姿であり、ジャンプの回転不足にしても、ジャッジに対する不満ではなく、より完璧なジャンプをめざそうとするアスリートとしての意識の高さです。

特にドラマチックな描き方がされているわけではないのですが、読み終わると静かな感動を呼ぶ一冊、いや二冊。ソチ五輪が終わった今こそが、この本を読む、ベストの時期であると思います。

−−−−−

ソチ五輪、女子フリーの日。

テレビのライブ放送があるのは、日本時間の深夜でした。

信じられないショートの演技と、その後の憔悴した浅田真央の姿を見て、フリーを滑ることができるのか、滑れたとしても、ショートよりもっと悲惨な結果になるのではないかという気持ちもあり、見るか見ないか大いに迷っいました。

しかし、これまでずっと浅田真央を応援してきて、ここで見ないなんてあり得ないと思い直し、深夜のテレビをつけたのでした。

もう気持ち的には、トリプルアクセルを失敗してもいいから、とにかく無事に滑り終えて欲しいということだけでした。

そして始まったフリーの演技。







冒頭のトリプルアクセルは、文字通り息を詰め、固唾をのんで画面を凝視しました。

そして成功!!

この後は、ひとつひとつのジャンプを祈るような気持ちで見ていき、最後のジャンプが決まり、振付ではないガッツポーズのような真央の仕草を見た時は、身体が震えていました。

超絶ステップからフィニッシュ! 感極まった真央のクシャクシャの顔を見て、私の涙腺ダムは決壊したのでした。

得点は、自己最高点でしたが、そんなことより、フリーをちゃんと滑れたこと、それも自分の納得のいく完璧な内容で滑りきったことがただただ嬉しかったのでした。





浅田真央のコーチを務めた、ロシアのタチアナ・タラソワ。本の中でも、真央とタラソワの厳しくも温かい関係が描かれていますが、そんなタラソワさんの愛あふれる解説付きの動画です。

最後のジャンプが終り、真央得意の、そして私が大好きなステップシークエンスに向かう時の、「さあ、行きなさい!」というタラソワのひと言。ウルウルきます。



本作では、浅田真央を支えてくれた家族の話もたくさんありますが、同じスケーターの姉、浅田舞の「妹・真央」を思う気持ちがとても深く伝わり、こちらも思わずもらい泣きです。

−−−−−

翌日のNHKでは、現地の刈屋アナが浅田真央の演技を、こんな言葉で讃えてくれました。

メダルを取れませんでしたけれども、浅田選手の価値を下げるものでは全くなかったですね。むしろ「4年間の努力」というのが彼女のアスリートとしての価値、評価というのを決定づけているような気がしますね。

「そして、その瞬間へ」は、まさにその4年間の努力の軌跡を綴ったものです。

メダルが取れる取れないというのはそのときの運もありますので、金メダルを取れなくてもフィギュアスケートの歴史上にさん然と輝き続ける名スケーターたちはいっぱいいるんですよ。

と、イリーナ・スルツカヤとミッシェル・クワンの名を挙げ、

「夢をかなえるのがスポーツならば、かなわないのもまたスポーツ。でもいちばん大事なことは夢に向かって最大限の努力をすること」

クワンの引退時の言葉を紹介。

浅田真央選手がこの4年間に見せた、金メダルに向かってというよりも最高の作品に向かった最大限の努力はこの2人に匹敵するものでありますし、同じように金メダルはなくても女子フィギュアスケート史上にさん然と輝き続ける、そういう選手だと思いますね。


※刈屋アナの解説全文はこちら→浅田真央 自分の演技目指した4年間


−−−−−



メダルはとれなかったけれど、金メダル以上に記憶に残る演技

こういう言葉を「綺麗ごと」という人もいますが、時には綺麗ごとを受け容れることも大切なのではないでしょうか? ひねくれた性格を自覚し、通常は綺麗ごとが好きではない私ですら、今回の圧倒的な「綺麗ごと」の前には、素直にひれ伏しました。

あの演技を見て、それでもなお「点数が低かった。ちゃんとした採点なら銅メダルだった。」とか、そういうことを思ってしまう人は、もうどうしようもなく心が卑しいのではないかと思ってしまいます。

今のおかしな採点方式では、意図的に選手の順位・得点が操作できてしまい、高い得点に(本来の)価値がないことは明らかです。それがわかっていて、しかしファンとしては浅田真央に金メダルを獲って欲しいと思ってしまいます。

しかし、あの時、得点がどうの、メダルがどうのという気持ちがなくなり、ある意味初めて、真央の演技を心から楽しめ、感動することが出来たのだと思っています。そして、もしかしたら、浅田真央自身、そのような呪縛から解き放たれての「神演技」だったのかもしれません。

久々に、心の底から感動しました。そんな感動を与えてくれた浅田真央には、心から感謝したいと思います。それなのに、「今まで支えてくれた方への恩返しができた。」だなんて、もうこれ以上泣かせんといてや…。(と、何故か関西弁)

−−−−−

ソチ五輪の前に流されていた、住友生命の浅田真央応援CM。









※ソチ五輪終了後は、「一度きりの冬」のメッセージが変更されています。

「何万回、跳んだかわからない。最後に、最高のジャンプを、この冬に…。」
   ↓
「スケートと出会えて強くなれた。みんながいたから頑張れた。ありがとう。」


あの演技と感動の後に見ると、感慨深いものがありますね。

本当にありがとう、浅田真央!!

(※本文は、浅田真央に対する心からの尊敬と感謝の気持ちから、敢えて、親しみを込め、呼び捨てのまま書かせていただきました。)


印象に残った言葉

真央のスケートは、見る人を幸せにする力を持っています。真央が滑ると、リンクにエネルギーが生まれて、周りにいる人みんなが惹きつけられてしまう。

そんなことができる人は、多くはありません。真央のスケートを見て、楽しくなったり、幸せになったりした人は、演技を見終わったあと、ほかの人に優しくなれると思います。


−−−−−



浅田真央の振付を担当している、アメリカの振付師、ローリーニコルさんの言葉です。

一般的にどれくらい認識されているのか分かりませんが、スケート連盟やマスコミによる「真央イジメ」を受けながらも、浅田真央の口から、それに対する非難めいた言葉を聞いたことがありません。



森元首相のアホ発言に対するコメントにしても、相手を思いやり、場の雰囲気を和ませる、本当に素晴らしいものだったと思いますが、(多分)そうしようと意識してしているのではなく、スケートの演技だけでなく、持って生まれた才能として、自然に周りを幸せにしてしまう、稀有の存在なのだと思います。



−−−−−−−−−−


ここからは、「ときどき黒猫」というブログで企画されている「スマイル・プロジェクト」に対する私の考えについて書いています。本の内容とは直接関係のない話です。

このブログの基本姿勢は、「全ての選手に公正な採点を」ということで、採点方法の矛盾や不正採点の実態を追及していて、私もかなり勉強させてもらいました。



「ときどき黒猫」の管理人である「黒猫氏」は、昨年、ブログの記事をまとめた「フィギュアスケート 疑惑の高得点」という本を出版し、何を隠そう、この私も購入しました。

私も基本的にはその考えに賛同していたのですが、五輪シーズンの今季は、黒猫氏の発言にどうにも納得いかない部分が出てきました。

そしてソチ五輪の後、このサイトで、「スマイル・プロジェクト」という企画が立ち上がりました。

その内容は、「ソチ五輪のフィギュア代表選手全員にクリスタルメダルを贈呈し、浅田真央選手には、6種8トリプルの偉業を称えてプラチナメダルを贈り、ファンの有志によって作成したプロトコルを贈る」というものです。

精一杯の演技を見せてくれた選手にメダルを贈るというのは良いとしても、採点と得点に人一倍のコダワリを持つ黒猫氏は、「浅田真央の、フリーの点は低すぎる。私の採点では世界最高点だった。」という考えから、自分で採点したプロトコル(採点表)を添付することを提案したのです。

私自身、ソチのフリーの演技は素晴らしかったと思いますが、正直なところ、それでは何点だったら正当な評価と言える点なのか分かりません。

ソチ五輪の女子の上位選手の得点を基準にすれば、浅田真央の得点がその上を行くだろう、行くはず、行くべきだとは思いますし、その場合、世界最高点になるはずだという考えは、ある意味、納得できます。しかし、そもそも五輪以前の大会に比べても、全体的に得点がインフレ傾向にあるという事実がどうしてもひっかかるのです。

テレビでフィギュアの試合を見ていても、演技構成から、おおよその点数は予測できますが、実際に採点しろと言われれば、ハッキリ言ってできません。

もちろん私も、ファンの間で言われるように、浅田真央が他の選手に比べて点数が抑えられているというのは感じますが、何と言うか、「絶対評価の点数」がどの当たりに存在するのかが、私にはわからないのです。

「公正な採点」というのは、「加点や減点に(ある程度の)客観性があり、誰が採点しても(ほぼ)同じ点になること」であり、「Aの大会で出た50点と、Bの大会で出た50点は基本的に同じ価値があること」だと私は思っています。

そういうきちんとした基準の中で出した最高点ならば価値があると思いますが、意図的に加減させることが可能な得点に、私は価値を見出すことができないのです。

そういうモヤモヤを抱えつつ、フィギュアの大会を見てきましたが、ソチ五輪の浅田真央のフリーの演技の前には、先に書いたように、「得点も順位もどうでもいい」心境で真央の演技をみることになったのです。

そして思ったのが、結果的にメダルには届かなかったけれど、それ以上の素晴らしいものを見せてもらったという満足感でした。そして私の他にも、「記録より記憶」「金メダル以上の感動」といった声が多く聞かれました。

しかし、それが黒猫氏には気に食わなかったようです。

そのような声は、正当な評価に目を向けさせないためのマスコミの作戦で、「それにまんまと騙され、浅田真央を正しく評価することに懸念を持つファンは、もう彼女を応援することを止めて欲しいくらいです。」とまで言っています。

そして、繰り返し繰り返し、

「感動は風化し、記録は残る。」「正式に採点された本当の得点が多くのファンから支持されれば、それは事実として残ります。」と言い続けています。

ここでハッキリ言っておきますが、感動は、記憶は風化しません!

あの素晴らしい演技を見て、そんなことを言う人の方こそ、もう彼女を応援することを止めて欲しいです。

例えば、あの、札幌五輪のジャネット・リンが銅メダルだった時に金メダルを取った選手が誰だったか、覚えているでしょうか?

記憶に残らない記録は、記録として残っても人々の記憶からは消えていく、風化するのです。

しかしその逆に、ジャネット・リンがくれた感動の記憶は風化しているでしょうか?

今はYouTubeなどの動画サイトがあり、過去に感動を与えてくれたシーンを簡単に振り返ることができるようになりました。



例えば、バルセロナ五輪の古賀稔彦や、



あの長野五輪の原田雅彦の大ジャンプ。

感動は風化しているでしょうか?

もし風化しているとすれば、それはその人の心が風化しているのです。

もちろん、記録の大切さを否定するものではありません。記録と記憶がセットになっていることもあるし、記録自体が偉大なものもたくさんあります。

しかし、黒猫氏の場合、採点に異議を唱えてきた自分の存在意義が否定されるとでも思ったのでしょうか、私には理解できませんでした。

最初、プロトコルについてはブログのコメント欄でも反対の声が多くありました。

黒猫氏によれば、「応援する選手に何かをプレゼントする時、その選手が一番欲しいものを贈りたいと思わないのでしょうか?」「浅田真央が本当に欲しいものは何でしょうか?」という問いかけの答えとして世界最高得点のプロトコルだとしています。

本当にそうでしょうか?

私はそうは思いませんし、この期に及んでそう思うような人は、浅田真央のあの演技が心に届かなかったかわいそうな人だと思います。

感動、感謝といった形に見えないものでは不安で、メダルやプロトコルという物質的なものに頼る。あの心に響く演技に対して、何だか下品なものに思えます。

それに、もし浅田真央が「公正な評価=高得点」を望んでいたとしても、それは自分が実際の競技会で達成したものであるはずです。

ちなみにこのプロトコル、最初は黒猫氏が作成したものだったのに、プロトコルに否定的な声が上がるとすかさず、ブログに訪れる人も参加して採点することにしました。

自分の主張ではなく、あたかも「みんなの総意」であるかのようなすり替え、何かズルいですね。

先に書いたように、我々ファンが実際に採点することは、ネットで調べても、採点基準には曖昧な部分が多く、かなり難しいことです。例えば、「曲の解釈」という項目などは、どうやって点を付けて良いのか見当もつきません。浅田真央のフリーの曲「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番」にしても、厳密に言えば自分がその曲を理解していなければ採点できないのではないかと思います。

※曲の解釈などのPCSについては、★総構成点(PCS)考察…★が参考になると思います。


しかし、それでも世界最高点にすることありきで採点して作ったプロトコル。まさに、誰でもやろうと思えば簡単に点数を操作できることの証明に他なりませんが、黒猫氏はそのような採点方法に異を唱えていたはずです。それなのに、同じ方法で作成した「世界最高点のプロトコル」を浅田真央に贈ろうというのですから、これぞ「ミイラ取りがミイラ」です。

おそらく「公正な採点」をしたら、(たまたま)世界最高点になったと主張するのだと思いますが、採点基準が曖昧な現在の採点システムでは、「公正」の定義すら良くわからない気がします。

同じような意見は黒猫氏のブログにのコメント欄にも書かれていましたが、この手の有名ブログにありがちな信者がいて、否定的な書き込みをする者は、即、お決まりの文句、「嫌なら、参加しなければ良い」と叩かれ、排斥されます。

だから私はコメントなんかしませんが、でも、おかしいと思うので、自分のブログに書いているのです。

こんな場末のブログが彼らの目に止まるとも思えませんが、もし、不快に思ってもいちいち反応しないで欲しいと思います。あなたたちの流儀で言えば、「嫌なら読まなければ良い」のですから。

それにしても最初は、現在日本で行われている「世界選手権」に合わせて贈呈する予定だったものが、少し延期されたようです。

穿った見方をすれば、「世界最高得点のプロトコルを贈ろうと思っているのに、もし、この大会で、浅田真央が世界最高得点をマークしてしまったら茶番になってしまうから」なのかもしれません。

そんなことを思っていたら、なんと、ショートプログラムで、浅田真央が世界最高得点を出してしまいました。

これは、かのKYが、ソチの銀メダルに対して訴えも辞さない抗議を行っていることで、「そんなにウダウダ言うなら、オマエの世界最高得点も、もう守ってなんかやらないよ。」というISUの報復措置なのかもしれません。

そうであれば、浅田真央がフリーでも完璧な演技をすれば、またまた世界最高得点がでる可能性もあります。

そうなったら、プロジェクトはどうなるのでしょうか?

まあ、自分たちの活動のおかげで、ようやく正当な評価がなされたとか言うのだと思いますが、「採点方法そのものがおかしい」という根本的な問題はそのままです。


ということで、最後にもう一度言いますが、感動は風化しません。

その人の心が豊かであり続ける限り…。




ミシェル・クワン(Michelle Kwan)のツイート

Mao Asada - made me cry.... a performance that we will all remember forever!
浅田真央は私を泣かせた…。私たちの全てが、この演技を永遠に忘れないでしょう!


※ブログ内の関連記事(スケート)



(ブックレビュー)
★ 浅田真央 さらなる高みへ / そして、その瞬間へ (吉田順)

※関連サイト

NHK 全力応援!ソチオリンピック (フィギュア他の動画も見られます。)
浅田真央 ラストダンス - 朝日新聞デジタル

※フィギュア関係のブログ

MURMUR 別館
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浅田真央のラストシーズンを見守るブログ
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