消えた少年 (東 直己)


満足度4 ★★★★

ハヤカワ文庫JA
初出版 1994年
読んだ回数 3回








ハヤカワ文庫JA-裏表紙の紹介文

学校では問題児扱いだが、映画が大好きな中学生、翔一と知り合い意気投合した〈俺〉。ところが、翔一の親友が惨殺死体で発見され、一緒にいたはずの彼も行方不明になってしまった。変質者による誘拐か? 暴力団がらみなのか? それとも学校をも巻き込んだ障害者施設反対運動に関係があるのか? 担任の教師、春子に翔一の捜索を依頼された〈俺〉は、彼の姿を探してススキノを疾走する! 新感覚ハードボイルド長編第三作

感想、みたいなもの

「ススキノ便利屋〈俺〉シリーズ」の長編第三弾。

本作を読むのは今回で三度目ですが、東直己の作品の中でも最も好きなのが〈俺〉シリーズなので、今後さらに再読を重ねるだろうと思い、今回は文字が大きく読みやすい「ハヤカワ・トール版」を購入してきました。

トール版は再三書いているように、表紙が良くないので購入するつもりはなかったのですが、〈俺〉シリーズ9冊目の「探偵、暁に走る」からは、最初からトール版で文庫され、それまでのものと高さが合わなくなって見苦しいので、先に述べた「どうせまた再読する」のなら、トール版も揃えてしまおうと思ったのです。

映画がヒットしたせいで、東直己の原作本も版を重ねる売れ行きで、昨年夏以来、書店には平積みのコーナーが出来ています。

そして、〈俺〉シリーズの一冊ということで、「消えた少年」にも、映画のキャスト、私が全くイメージが違うと異議を唱えたあのキャストの帯がついているのです。

「こうやって、購入者にジンワリとイメージを植え付けて、続編への布石を打っているんだなぁ。たくっ!」と、非常に面白くないのですが、とりあえず購入し、自宅で破り捨てました。

別に映像化を全否定するつもりはないので、いつか、「映画と原作」についてまとめたものをアップしたいのですが、読んだ本のレビュー記事が追い付かず、まだ書けていません。

その間にネット上では、抵抗勢力は弱まり、「イメージは違うけど、これはこれで良い」といった論調が目立つようになっています。

そりゃ、そうでしょ。あれだけガンガン暴力的に、大量の情報イメージを流して洗脳を図れば、普通の人はそれに屈服してしまうのも仕方ありません。私は「普通の人」ではないので何とか持ちこたえていますが、それでも鬱陶しいことこの上なしです。

映画の続編の原作がどの作品になるかという点ですが、私が思うに、映画「探偵はBarにいる」にしても、原作が「バーにかかってきた電話」としているものの、シリーズの他の作品をイメージさせるような、「シーンの抜粋」的作りになっているようで、今後はもっと、「タイトルだけ俺シリーズ」のような感じになるのではないかと思っています。

というのは、実は「俺シリーズ」は、援交、売春、SM、ホモ、ロリ…といった内容のものが多く、猟奇的な描写もかなりあって、映画化に制限があるだろうものが多いのです。

なので、別に、シリーズの忠実な再現を目指しているわけではないのだから、タイトルだけ〈俺〉にして、あとはオリジナルストーリーで勝手にやってくれればと思っています。

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さて、本作ですが、ある事件で知り合った少年が失踪し、少年の担任の女教師に頼まれて、「俺」が少年を探すことになります。

この女教師ですが、前作で酔っ払いに絡まれているところを「俺」が助け、「何か困ったことがあったら連絡しろ」と、「ケラー・オオハタ」のマッチを渡したことがある女性だったのです。

今時珍しいタイプの、純情女性の「春子」ですが、「俺」との不釣り合いな感じが中々楽しいのです。

そして中学生の翔一は、映画好きな少年で、やはり映画が好きな「俺」と映画の話で意気投合します。

作品中、映画に関する話が随所に出てきますが、その部分を読むと、「俺」、すなわち東直己本人が映画好きで、コダワリを持っていることがわかります。

例えば、

暗い場内に入り、血のにじむような思いで一番後ろの席に座った。本来、映画というのは、前から二列目の真ん中の席で観るものだ。

尾行中なので、一番後ろに座らざるを得なかった時の思いですが、こういうのは、映画館に通って初めて得られるものだと思います。ただ、「真ん中」というのは、音響的な理屈ではそうなるハズですが、当たり前で面白みには欠けますし、「前から二列目」というのはやや近過ぎるような気がします。

まあ、人の好みなので何が正解と言うこともないのですが、全席指定&入れ替えなんていう最近のスタイルは、続けて同じ映画を観て、観るポジションでの変化も楽しむといったことが出来なくてつまらないです。

「いつもクレジットを最後まで見るのか?」

「いや……クレジット見てるんじゃなくて、なんかこう、映画を観た直後に立つのって、何だかもったいなくて。」

「ああ、あるある。そういうの。」


映画館で偶然出会った翔一と、映画について話すシーンですが、これも良くわかります。

映画館でイヤなのは、最後のクレジットが流れている時に、観客が席を立ち、ゾロゾロと出口に向かい始めること。

せめて場内が明るくなるまで、映画の世界の余韻に浸っても良いのではといつも思います。それ以前に、クレジットの途中で場内を明るくするアホ映画館は、言語道断ですが…。

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とまあ、そんな映画好きの作者ですから、「自分の創造したキャラクターが、スクリーン上を動き回る」、もうこれだけで、東直己にとっては至福の時なのでしょう。

そういう意味では東直己ファンの私としては、「俺シリーズ」が映画になって良かったねと素直に言え…、やっぱり言えませんけど、まあ、東直己は嬉しいのだろうなと思います。

ストーリー自体はテンポ良く進み、読みやすいと思いますが、ラストは、いつものように、若干、無理がある感じも残ります。

まあ、「俺」は刑事でも探偵でもなく、「謎解き」に重点を置いた作品ではないので、それが「俺シリーズ」の持ち味といえば、そうなのかもしれません。それより、例えば、時間と共に春子と俺の関係が微妙に変化して行く様子とか、物語の流れを楽しめれば、それで良いのです。

個人的には、シリーズの中でも好きな一冊なので、いつか、大人になった翔一が登場する作品を書いてくれないかなと、ひそかに期待しています。

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物語的には、時に映画は関係ないのですが、ポール・ニューマン主演の「スラップショット」に関する話が出てきます。

「スラップショット」を観ていないので、ピンとこなかったのですが、ポール・ニューマンは好きだし、そのうち観てみようと思います。

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単行本の表紙(右)は、ススキノを背景に、「消えた」少年の姿を描いたものでしたが、文庫(左)では、「ケラー」のカウンターに座る〈俺〉と春子の姿となりました。

この作品のタイトルは「消えた少年」ですが、内容的には「少年と俺」、そして「春子と俺」の物語なので、この表紙もアリですね。



これに対してハヤカワトール版は、毎度のことながら、手抜きとしか思えないツマラナイ表紙になってしまいました。

「少年=学生だから、校舎の写真でも使っとけばいい。」という感じで出来たとしか思えない陳腐なものですが、本当にトール版の表紙は良いモノがなく、旧版からのファンとしては残念な限りです。


印象に残った言葉

翔一は自分の好きな小説を映画化する時のキャストを考えるのが好きだったらしい。雑記帳にしているらしいノートに、ずらりと並べて書いてあった。

例えば『ディミトリオスの棺』は、チャールズ・ラマティーがクリストファー・ウォーケン(なるほど)、ハキ大佐が……


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ある小説のキャスティングを、具体的に記述したシーンがありました。

おそらく、映画好きの東直己ですから、彼自身、読んだ本の登場人物を具体的にイメージしてみるという「遊び」は、嫌いではないのだと思います。



私は『ディミトリオスの棺』を読んでいないので、このチョイスが「正攻法」なのか「変化球」なのか、分かりません。

いずれにせよ、この「遊び」が好きということは、あまりにもイメージと異なる場合の失望についても、東直己は知っているハズなんですがねぇ…。



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