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zoom RSS 標なき道 (堂場瞬一)

<<   作成日時 : 2012/04/30 12:24   >>

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満足度5 ★★★★★

中公文庫
初出版 2003年
読んだ回数 1回







中公文庫−裏表紙の紹介文

「絶対に検出されないんです。」 最後の五輪代表選考レース直前に一本の電話がかかってきた。〈勝ち方を知らない〉ランナー・青山に男が提案したのは“ドーピング”。卑劣な手段を拒んだ青山だが、すでに男の手がライバルにも伸びていたことを知り……。男たちの人生を懸けた勝負が始まる。


感想、みたいなもの

堂場瞬一のスポーツもの、三作目は「マラソン」を題材とした作品です。

テーマはズバリ、「ドーピング」。

五輪代表選考レースの最終戦に挑む、日本最高記録を持ちながら怪我に泣かされてきた須田、過去の選考時に陸連を批判して表舞台から去っていたが復活を期する武藤。いつもあと一歩のところで勝ちきれず、最後の五輪のチャンスに懸ける青山。

三者三様の思いを胸に、レースに挑む男たちの姿が、青山の視点で描かれています。

−−−−−

要するにあんたは、俺にドーピングを勧めてるんでしょう?冗談じゃない。」

「どうして『冗談じゃない』なんですか?」

「ドーピングは卑怯者が使う方法だ。」辛うじて反論した。

「聞くけど、ドーピングの何が悪い?」

「身体に悪いじゃないか。」

「本人がそれを承知でやってるとしたらどうだよ。死んでも勝ちたいっていう気持ちが本物なら、体を犠牲にする人間もいるだろう。」


「ドーピングをしてまでも勝ちたいか」という、スポーツマンシップとアスリートの本能とのせめぎ合い。その、揺れ動く胸の内を、堂場瞬一は三者に異なる背景を設定することで、うまく描いていると思います。



「ドーピング」と聞いて思い出すのは、何と言っても、1988年ソウルオリンピックで、あの「ベン・ジョンソン」が驚異的な世界新記録で金メダルに輝いた後に起きた、ドーピングによる失格でしょう。

あと当時は情報も少なく、ただ単純に「ジョンソン=悪者」という図式がありましたが、その後、多くの選手がやっていることも明らかになり、「見つからなければ」という、薬と検出技術についても問題が広がっています。





こんなYouTuneを見つけましたが、本作を読んだ後に観ると、色々と考えさせられることと思います。

−−−−−

さて、「ドーピング」というのは、いわゆる「禁止薬物の使用」ということですが、本作では、それだけでない、環境的な「ドーピング」についても取り上げています。

「金をかければ何でもできるかもしれないけど、嫌な感じですよね。」

「何だか不公平な感じだな。アオさん、そう思いませんか?」

ランナーに公平も不公平もないだろう、走る能力は個人個人に付されたもので、家の事情とは関係ない、と青山は思った。思ったが、出てきた言葉は、助川の不満を裏打ちするかのような「まあな。」というものだった。


実家が金持ちの須田は、ボールダーに住居を構え、長期滞在によるトレーニングを行います。わずか数週間の合宿しかできない会社の現状と比べ、青山の後輩の選手が感じた疑問です。



ロンドン五輪のマラソン代表・藤原新選手は、実業団などに所属せず、「無職」のまま選手活動していることで話題になりましたが、ちょうどタイミング良く、インターネットで個人スポンサーを募り、約1000万円の活動資金を得たというニュースがありました。

藤原新、1週間で1000万円!ニコ動で活動資金集めた…マラソン



また、五輪代表の座は逃しましたが、埼玉県庁の職員で、市民ランナーの川内優輝選手も、話題になりました。

マラソンに限らず、アマチュアスポーツ選手は、その活動資金を捻出するため、基本的には実業団に所属し、社員として働く傍ら、トレーニングをするというのが一般的です。

しかし、不況下の現代においては、その金額的負担のため、企業がスポーツ活動を縮小したり廃止したりする動きも顕著で、選手個人によるトレーニング環境の違いもまた鮮明になっていると思います。

そういう、「選手の能力と関係のない部分の不公平さは問題ないのか?」というのも、本作のテーマのひとつで、実際に、藤原選手や川内選手の報道が好意的に書かれることが多いのも、不公平感に対する判官贔屓なのだと思います。

結局、「環境を得るのも選手の能力のひとつ」と考えるしかないのですが、さらに、選手の使う「用具」の差ということになると、記録に与える影響として無視できないものとなってきます。

本作でも、須田がメーカーに依頼して、個人用のスペシャルシューズを作らせる場面がありますが、これもある意味「ドーピング」ではないのか、というのが作者の投げかけた疑問なのだと思います。



本作が書かれたのが2003年ですから、「用具の差」は、まだ、さほど話題にはなっていなかったと思いますが、2008年の北京五輪時に「魔法の水着」と呼ばれ社会問題ともなった、speedo社の競泳用水着、「レーザーレーサー」のことを思えば、堂場瞬一の投げかけた疑問が、現実のものとなったことが良く分かります。



競泳の場合、水の抵抗が大きいので、記録に対する影響も大きかったと思いますが、「空気抵抗」という分野でも、バンクーバー五輪で話題になった、日本のスピードスケートのユニフォームも、最新の科学技術で作られた「魔法のスーツ」だったと思います。

以前から、フィニッシュすると、選手がすぐにスーツのフード部分を外すのを不思議に思っていましたが、スーツがクローズアップされてからは、スーツの締め付けがキツイからなのかなという思いで見ています。

というように、本作は、「薬物だけでないドーピング」について考えさせられる内容で、文庫の485ページのうち、実際の選考レースの描写部分は50ページしかありません。

しかし、その50ページに凝縮された内容は非常に濃く、結末に向かっての緊張感は、さすが堂場瞬一と思わせるものでした。

う〜ん。やっぱり堂場瞬一のスポーツものは、面白いです。

−−−−−−−−−−

「天国の罠」でもそうでしたが、本作も、具体的なアーティスト名や曲名が、文中に数多く記されています。

村上春樹の場合、その場の雰囲気を表すのに様々な音楽を使ってフォローしているように感じますが、堂場瞬一の場合は、作品を通して、同じジャンルの曲で統一し、全体の雰囲気をまとめているようで、若干、手法、狙いが異なるように思います。

本作で使われる音楽は、「ブルース」。

ただ気になったのが、堂場瞬一が、「ブルース」と書かずに、わざと「ブルーズ」としていることです。

確かに、「Blues」の本来の発音はブルーズ[blu:z]ですし、日本語になった外国語というのは、必ずしも発音記号通りでないことも多いのですが、こういうコダワリ方は、読んでいて気に障るというか、心地良くないので、やめてもらいたいです。

以下、登場するアーティストをYouTubeで探してみたら、けっこうな数になりました。文庫のページ数を記しておくので、読みながらBGM的に流すと、雰囲気がアップすると思います。



☆ エリック・サーディナス (P12、14、33)


☆ エルモア・ジェイムス (P61)


☆ ジョー・ターナー (P145)


☆ ソニー・ボーイ・ウィリアムスン (P223)


☆ ジョニー・ウィンター (P234)


☆ マディ・ウォーターズ (P235)


☆ バディ・ガイ (P235)


☆ ロバート・ジョンソン (P235)


☆ ライトニン・ホプキンス (P348)


☆ マイルス・デイヴィス (P357)


☆ スティーヴィー・レイ・ヴォーン (P417)

−−−−−−−−−−−−−−−



文庫では、タイトルが「キング」から「標なき道」と改題されましたが、文庫表紙(左)は、それに合わせるかのように、果てしなく続く道の風景となっています。

マラソントレーニングの聖地、高地の「ボールダー」をイメ−ジしたのかもしれませんが、内容と雰囲気は合っていない気がします。

単行本の表紙(右)は、陸上競技のトラックに置かれたシューズで、こちらの方が良いとは思います。

ただ、タイトルの「キング」というのは、確かに「キング=王者」の話ではないので、改題を考えたのも分かる気がします。

かと言って、「標なき道」というのも違う気がしますが、じゃあ、どんなタイトルが良いかと言われれば、これがけっこう難しい。

無難なところで、「ランナー」とか、「アスリート」とか…。

堂場瞬一は、「タイトルは苦手なので編集者が決める」というようなことを講演で言っていましたが、閃いた時は簡単だと思いますが、それなりにセンスが必要な作業なんでしょうね。


印象に残った言葉

どうしてオリンピックなのか。

選手生命を永らえさせるため? それともこの歳になって初めて勝ちたいという欲が出て来たのか。

時折、夜明け間近の浅い眠りの中で、オリンピックを走る自分の姿を夢想することがある。オリンピックという特別な舞台で日の丸を背負って走るのはどんな気分だろう。


−−−−−

オリンピックの最終選考レースということで、本作では、オリンピックに対する特別な想いも綴られています。

オリンピック以外でも大きな大会はありますが、オリンピックが「特別な」大会であることは、多くの人が認めることでしょう。

他の大会と大きな違いは、「国の代表」という点だと思います。

もちろん、「国の代表」として参加する大会はオリンピックだけではありませんが、本当の意味で、「国を背負って戦う」のはオリンピックだけだと思います。

その特別な大会に出ること、そして勝つことが、その後の競技生活や人生そのものに大きく影響を与えることは事実ですが、そのために国籍を「買って」まで、参加しようという考えは、下品で、愚かで、恥ずかしい行為だと思います。



猫ひろし

確かに彼も、純粋に競技者としても努力はしているのでしょうし、国籍を変更してオリンピックに出場することは、過去の例も多く存在するのも事実です。

しかし、報道されている内容を信じるのであれば、彼の行為を肯定することはできません。

「自分の国のレベルが高いから、競技レベルの低い国から出場する」ということに対しては意見を述べませんが、今回の場合、「カンボジアを背負って走っている」と言えるかどうかがポイントだと思います。

他の国はともかく、本来、日本人は、こういう行為を恥と思い、戒めて来た国民だと思います。そういう意味で、この恥知らずの男が、日本人でなくなったことは、逆に歓迎すべきことだと思います。


返す刀で、もう一人ぶった切っておきますが、



南海キャンディーズのしずちゃんこと「山崎静代」。

こちらは「日本」代表を狙っているので、猫ひろしとは違いますが、そもそも、この競技(しずちゃん含め三人しかいない)に、国費を使って代表を送る意味があるのかと思います。

競技人口が少なく、戦わずして暫定チャンピオンになるとか、本人もそうですが、決勝の相手の試合経験が極端に少ない(過去1戦)とか、オリンピックを舐めているとしか思えません。

おそらくマスゴミに利用されているのだと思いますが、五輪切符を得られないことを、心から願っていると書いておきます。

想いで作りは、自腹で参加する大会でやってくれ…。



※2012.5.5追記

経済評論家の山崎元というアホが、猫ひろしの擁護記事を書いていました。

「猫氏は、自らのストーリーをコンテンツ化して注目を集め、これを経済価値に変えるネットワーク時代の典型的なビジネス・モデルだ。」と持ち上げ、「若者は猫ひろしに学べ!」だって。

チャンチャラおかしいわ!

コイツは、昨年の今頃も、「花見自粛は経済の停滞を招く」みたいなことを言っていたが、何でもかんでも経済効果を基準に考えるロボット。

「経済的には正しいかもしれないが、人道的には正しくないことが世の中にはある。それを無視すれば、最終的に反感を買い、経済的にもマイナスになる。」ということがワカランのか!

こういうアホが、節電は経済の停滞を招くから原発を動かせ、とか言うんだろうな。

あ〜、イヤダ、嫌だ…。



※ブログ内の関連記事(堂場瞬一)

堂場瞬一 / 著作リスト

(ブックレビュー / スポーツもの)
8年
マスク
標なき道
大延長
チーム

※関連サイト
堂場瞬一10周年記念特設サイト
堂場瞬一 with 中央公論新社


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